今年の聖句2012年01月07日 09時46分

 今週は、教会総会用の2011年の会計資料の作成作業があって忙しくしていましたが、ようやく一段落しました。

 さて、この年末年始、いろいろな聖句から励ましを受けています。私としては、それらの一つ一つを心に刻みつければ、特にこれが「今年の聖句」と言って一つに絞ることをしなくても良いのではないかな、と思っていますが、教会では「KOJIMAさんの今年の聖句は何ですか?」と聞かれることが多いので、聞かれた時に答えられるようにしておかなければなりません。
 一つに絞るとしたら何だろう?、と考えることも、なかなか有意義でした。ここ何日かあれこれ考え、次の聖句が私に与えられた今年の聖句であろうと思いました。

 「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。」(マタイ5:8)

 これは私の好きなマタイ5:9「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」の一つ手前の聖句です。

 今年の私の聖句マタイ5:8はロイドジョンズの『一日一言』の1月4日の欄で取り上げられていました。ロイドジョンズ曰く、

 「これは、もちろん、キリスト者の立場と、キリスト教の教えとの真髄そのものである。『心のきよい者は幸いです』それがキリスト教の根幹であり、使信である。」

 4年前まで私は、「きよい」ということに、何か胡散臭いものを感じていました。そして、私自身は絶対にきよくなれないであろうという確固たる自信を持っていました。
 しかし、今は少し違います。相変わらず、きよくない私ですが、聖霊が私をきよめて下さるはずだという信仰は持っています。この信仰を持っていなければ仕事を辞めて神学校に入った意味がないことに気づかされ、聖霊の力を信じることにしました。そして、そのように信じることにした時点から、少しずつではありますが、確かに以前よりは、きよめられているのです。こんな私でもきよめる力を持っている聖霊の働きは本当にすごいと思います。

 マタイ5:8の後半の「神を見る」とは、顔に付いている目ではなく、心の目、霊的な目で見るということです。教会で神を語る時、神を見ずして語ることはできません。今、私はぼんやりとしか神が見えていません。もっとはっきりと見えるようになるためには、聖霊の力により、もっともっときよい者にされなければなりません。

 今年の春、私はいよいよ牧師としての任命を受ける予定です。それゆえ、この聖句を今年の私の聖句としました。

 「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。」(マタイ5:8)

『とんび』前編(NHK)2012年01月07日 22時31分

 面白かった・・・
 
 別格とも言えるほど、頭抜けて良い作品だと思いました。

 後編が楽しみです。