映画『コスモ、光明(ひかり)のなかへ』2007年03月01日 07時57分

 佐々部監督が今年撮影する予定の映画の情報が入りました。
 詳しくは →こちら をご覧ください。
 江戸川のチル友さん、情報どうもありがとうございました。

隠し剣 鬼の爪@日本点字図書館2007年03月03日 22時54分

 きょうの午後、高田馬場の日本点字図書館に行き、音声ガイド付き『隠し剣 鬼の爪』上映会に参加してきた。音声ガイド作成ボランティアが作成・録音した音声ガイドファイルを、ノートPC上で市販DVDと同期させて上映させることができる画期的なプログラムを日本点字図書館が開発し、それを体験してもらうための上映会が毎月実施されているということを最近知り、出掛けて行ったのだ。私が聞いたことがある映画の音声ガイドはまだまだ少ないので、機会があれば出来るだけ多く聞くようにしたいと思っている。会場には20名近くの視覚障害者(+引率者や関係者で計40名近く)がおり、音声ガイド付き上映会に行くといつも思うことであるが、映画が人を引きつける力の強さは本当に凄いと思う。
 『隠し剣 鬼の爪』は劇場での公開時に品川プリンスシネマで見て以来、今日が2度目であった。品川で見た時には「鬼の爪」という武器に意表を付かれ、私の中では上位に位置する映画となっていた。今回はさらに、『四月物語』の松たか子も気になる存在となっていたため、今日の音声ガイドの勉強を兼ねての上映会参加は数日前からとても楽しみにしていた。
 久し振りでこの映画を見て、本当に面白い、娯楽性に富んだ映画だと思った。主人公の永瀬正敏と松たか子との切っても切れない深いつながりと、剣の修行時代の良きライバルであった小澤征悦との関係が大きな二つの柱となり、さらに吉岡秀隆との友情、小澤の妻・高島礼子への憐れみの情、さらには戦闘法を近代化させようとする訓練の中での藩士たちとの関係など、実に様々な人間関係が描かれており、見る者を飽きさせない。松たか子との場面などでは、途中で何度も涙が出てしまった。
 さてそうすると、どうしても私がお気に入りの『武士の一分』との比較がしてみたくなる。『武士の一分』は涙が出る場面は最後の場面だけであるし、主人公の人間関係の描き方も『隠し剣 鬼の爪』に比べると遥かに少なく、非常にシンプルな作りになっている。しかし、それほどに枝葉を極力切り落として単純な作りしているにも関わらず、見るものを飽きさせず、単純が故に見るものの意識を散漫にさせずに深い世界へと引き込んでいってくれる『武士の一分』、こういう映画を本当に優れた映画と言うのではないか、きょう『隠し剣 鬼の爪』を見て、そんなことを思ったのであった。

出張と研究会・学会2007年03月07日 12時19分

 きょうはこれから大阪に行き、明日は熊取で材料関係の研究会があります。金属の新しい変形機構の正体がだいぶ見えてきたので、それについて発表してきます。どんなコメントがもらえるか期待と不安が両方ありますが、いずれにしても楽しみです。さきほどパワーポイントのスライドがだいたい出来上がったのでホッとしたところです。明日の朝ギリギリまでかかることを覚悟していましたが、今日は職場に行かずに自宅でスライド作りに専念したので早くできました。これで飛行機の中でもノンビリできるのでうれしいです。夜は大学院生の頃からの研究仲間と食事することにしています。彼とは金属学会で知り合ったのですが、いろいろ話しているうちに彼は阪大剣道部のOBで、愛媛の高校の剣道部では私の北大剣道部の同期と同期だったことがわかり、意気投合しました。
 金、土は福岡で日本語関係の学会があって委員会があるのでまた出張ですが、こちらは発表しないので気が楽です。
 来週の週末はまた日本語関係の研究会が東京であり、こちらは映画の音声ガイド作成を日本語の授業で試行した実践報告を口頭発表とポスター発表で行うので、来週はこのための準備をがっちりやりたいと思っています。この場で、来月立ち上げる予定の「日本語教育への音声ガイド活用研究会」の宣伝と参加の呼びかけをするつもりですので、こちらの展開も楽しみです。
 月末には千葉での金属学会でやはり変形機構の発表をする予定ですが、まずは明日の研究会で私の発表に対してどんな反応があるかが気になるところです。
 ところで金属学会の男女比は9.5:0.5ぐらいなのに対して日本語教育関係は2:8か3:7ぐらいで、男女比が完全に逆転しています。今ではもう慣れましたが、片方からもう片方へ行くとそのあまりの雰囲気の違いにどちらへ行っても違和感を感じていました。

コンサート行くぞ!2007年03月12日 23時06分

 先週の熊取での研究会の反応はまずまずでした。引き続きがんばります。
 いくつかコンサートの予約をしてチケットが確保できました。楽しみです!

●3月21日(水) 八尾プリズムホール
 チェン・ミン&加羽沢美濃 
 ふたりのハートフル・コンサート
 (二胡とピアノ) 

●3月30日(金) TOMONO HALL
 アンサンブル・ラ ペ&増田理恵
 第3回定期演奏会
 (ユーオーディア木管セクションとピアノ)

●4月22日(日) ブレーメンホール
 ジョン・チャヌ&Nobuko.&矢島吹渉樹
 華麗なる音のコラボレーション
 (ヴァイオリンと琴とピアノ)

●5月6日(日) 高津教会
 柳瀬洋&柳瀬佐和子
 ユーオーディア教会コンサート
 (クラリネットとピアノ)

5月6日のコンサートは私が世話役を務めます。
多くの方々に来ていただけるとうれしく思います。
よろしくお願いします。

永遠に確かなもの2007年03月19日 07時28分

☆草は枯れ、花はしぼむ。
だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。
(イザヤ書40章8節)

 昨日の日曜日はいろいろなことがあった。
 まず朝5時に起きなければならなかった。疲れていたので、しばしの葛藤があり、結局布団を出たのは5時半ごろだった。PCに向かい、5月6日の高津教会でのユーオーディア・コンサートのチラシ作りをした。デザインを考え、午前の礼拝前に配るべく、150部印刷した。8時ごろには出来上がったので感謝だった。10時半からの礼拝にはまだ時間があったので、一眠りしたいところだったが、前日の日本語教育方法研究会に来てくださった視覚障害者支援団体の方に御礼のメールを早めに出しておいたほうが良いと思い、メールを書いて送信した。土曜日の研究会では、映画の音声ガイドを日本語教育に活用するアイデアに強い関心を持ってくださった方がいて、大変に心強く思った。4月7日の第1回「日本語教育への音声ガイド活用研究会」は絶対に成功させなければならないと、強く思った。
 礼拝での藤本満先生の説教はヨハネの福音書14章6節を引用しての「私が道です」だった。来週は教団の合同礼拝があるので、今年度の高津教会での最後の礼拝のメッセージとして信仰の基本に立ち返る御言葉をいただけて感謝であった。午後の集会では教会員の兄姉から幸いな信仰の証しが聞けてこれまた大感謝であった。
 午後の集会の後で自宅に戻り、今度こそ一眠りして、夕方は川崎チネチッタに向かい、映画『バッテリー』を見た。予告編では兄と弟の物語のように宣伝していたので、そうなのかなと思っていたら、題名通り投手と捕手のバッテリーの話で、いい映画だった。終わり方もとても良かった。やっぱり映画はこうでなくっちゃ、という感じだ。それにしても萩原聖人さん、すっかりオジサンになっちゃいましたね。山田洋次監督の『学校』に出ていた頃はまだまだ子供っぽさが残る若者だったのに、今ではその時の先生役の西田敏行さん並みの貫禄。自分も年をとるわけだと我が身を振り返り、ちょっと寂しい気がした。
 帰宅してからは録画しておいたカーリング女子世界選手権の日本対ロシア戦を食事しながら観戦。スキップ目黒さんの最後の1投は、ほんのちょこっとだけ強すぎて、ロシアに残念な負け方をしてしまった。惜しい、あまりに惜しすぎる。氷のすべりが良すぎるのに戸惑っており、カーリングの難しさ、奥深さがまた1つ分かった一戦だった。
 チネチッタへ向かう行き帰りの電車とチネチッタでの上映開始までの間には、読みかけの飯塚訓『墜落遺体』(講談社+α文庫)を読み、読み終えることができた。これは山口のPさんのブログで紹介されていた本で、1985年の日航ジャンボ機墜落事故で520名分の遺体の身元確認作業の陣頭指揮を執った警察官が自ら描いた凄まじいノンフィクションだ。Pさんのブログに日本人と外国人で遺体に対する思い入れが全然違うということが書かれていて俄然読みたくなり、アマゾンのお急ぎ便で翌日には手に入れていたものだ。
 日本人と外国人の遺体に対する考え方の違いには宗教観の違いが浮き彫りになっているはずだと思って取り寄せた本であり、果たして著者も「宗教観」という言葉を使ってこの違いを考察していた。確かにその通りなのだろうと思う。しかし私はさらにもう一歩踏み込んで、確かなものを持つ者と持たない者の違いと考えたいと思った。遺体を大事に思う者は他に確かなものを持たないから遺体を確かなものとして大事に思うのだと言ったら言い過ぎであろうか。このブログを読んで不愉快に思う方がいたら申し訳なく思うが、私自身もかつては確かなものを持たずに荒れ野をさまよっていた者だから分かるのだ。では、確かなものとは何か。それは冒頭に示した通り、神のことばだ。私たち聖書を読む者は、この中にある御言葉にしっかりと支えられて日々を過ごしている。今ではあまりに安定し過ぎていて、不安を抱えて生きていた頃の不安定さが懐かしいと不謹慎なことを思ってしまうほどに聖書は私の心の背骨をしっかりと安定させてくれている。神のことばは肉体のように朽ち果てることはなく永遠に残るものであり、それを信じる者には永遠の命が与えられる。遺体は貴いものであり、それを出来得る限りの努力で丁重に扱い、きれいにして遺族のもとに戻した日航ジャンボ機事故処理関係者の活動もまた大変に貴いものであり、敬意を表したい。しかしそれ以上に貴いものが他にあるということを再認識することができた一冊でもあり、この本を読むことができたこともまた感謝であった。

☆初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
 (ヨハネの福音書1章1節)

アメージング・グレース2007年03月22日 07時17分


 20日の晩に静岡の実家に帰省、家族と食事しながらBS1のカーリング女子世界選手権のスウェーデン戦を観戦したり、『四月物語』を一緒に見たりして過ごした。21日の朝は父の墓参りに行き、その後、新幹線で大阪に移動した。八尾プリズムホールでの加羽沢美濃さんのコンサートを聴くためだ。今月から加羽沢さんは二胡のチェン・ミンさんと組んで全国ツアーを行っている。福岡、福山、上田と巡り、ここ八尾は4ヵ所目。皮切りの福岡でのコンサートに下関のSさんが行きブログでの報告を見て追っかけの血が騒ぎ、行くことにしたものだ。
 演奏曲目の一番目は「アメージング・グレース」だった。舞台に登場したのは加羽沢美濃さんだけで、一人で演奏を始めたのでチェン・ミンさんはどうしたのかな、と思っていたら客席の左側の扉が開き、二胡を持ったチェン・ミンさんが現れ、アメージング・グレースの主旋律を奏でながら客席の通路を移動して行った。私は左側の座席に座っていたので、いきなり近くにチェン・ミンさんが登場したこと、二胡の音色を間近で初めて聞いたこと、そして何より私自身が映画の音声ガイドの日本語教育への活用のことでアメージング・グレース(驚くべきほどの神の恵み)を受けているので、その思いが交錯して体が震えるほどの感動をいきなり受けてしまった。
 終演後、加羽沢美濃さんとチェン・ミンさんにCDにサインをもらった。加羽沢さんは私を見て驚き、「どこから来たの?」と私に聞いた。私は東京からと答え、下関のSさんの福岡のコンサートのブログ記事を読んでどうしてもこのコンサートを聴きたくなって来たと言ったら、「うれしい」と喜んでいた。加羽沢美濃さんのような才能あふれる音楽家が私のような者を覚えていてくださるとは、これもまた私にとっては「アメージング・グレース」だ。(つづく)

Amazing Grace (by John Newton 1779)
 Amazing Grace! How sweet the sound
 That saved a wretch like me!
 I once was lost, but now I'm found,
 Was blind, but now I see.

加羽沢美濃さんと二胡2007年03月23日 07時50分

 チェン・ミンさんと加羽沢美濃さんの二胡とピアノの協演はどちらも主役で、両者の個性が良く出ていた。それでいてバラバラにならずにしっかりと調和していたのは加羽沢美濃さんの類い稀れなる才能に負うところが大きいのではないかと思う。
 加羽沢美濃さんのコンサートではリクエスト・コーナーが一つの売りになっている。これは客席からのリクエスト曲数曲を即興でつなぎ、聴き応えのある一曲にまとめ上げるというもので、繊細になったりダイナミックになったり、その変幻自在さに観客は引き込まれ魅了される(文章ではうまく表現できません)。初めて聴いた時はその創意あふれる即興演奏に聴きほれると共に加羽沢さんの才能に感嘆した。しかし何度も加羽沢さんのコンサートに行くうちにリクエストコーナーにも次第に慣れてしまい、驚かなくなってしまっていたことに八尾のコンサートでは気付かされた。八尾のお客さんは二胡のチェン・ミンさん目当ての人が大半で、加羽沢さんの演奏を聞くのは初めての人が多かったようだ。私の周囲のお客さんは加羽沢美濃さんの演奏の素晴らしさに随所で感嘆の声を漏らしていた。私の斜め後ろの若い女性の二人連れは「スゴ~イ」を連発していた。そうなんだよね、加羽沢美濃さんって、やっぱスゴイんだよね、と私も初心に戻り感動を新たにすることができた。
 そんな加羽沢美濃さんだからこそ、二胡の聴かせどころではしっかりと二胡を引き立たせ、ピアノがメインのパートでは彼女の演奏の特長である濃厚な音を響かせ、見事にまとめあげることができたのであろう。八尾プリズムホールを出た私は感動が醒めやらず、この二胡との協演コンサートのことをブログで紹介してくださった下関のSさんに御礼が言いたくなり、携帯で電話したのであった。

ニライカナイ無視に呆然2007年03月24日 08時44分



 蒼井優さんが表紙の人だったので久々にアエラを買い、中の「表紙の人」の記事を読んで我が目を疑った。佐々部映画を除けば私の中の日本映画No.1の『ニライカナイからの手紙』(2005)のことが一言も書いてないではないか。蒼井優さんの初主演映画について書かなくて彼女の紹介記事と言えるだろうか?しかもご丁寧に、左側の彼女の経歴欄(下の写真)では2005年をスキップするという念の入れようだ。
 昨年6月25日の記事で『ニライカナイからの手紙』を絶賛した私としては、アエラの読者にこの映画のことを知ってもらう絶好の機会なのに、このような形で見事に無視されたことが残念でならない。
 いったい何でこんなことになるんでしょうね?

日本語教育への音声ガイド活用研究会2007年03月26日 03時50分

 4月7日の研究会の案内をHPにアップした。
 http://www.ryu.titech.ac.jp/~movie/audio.html

 当日は多様な人が来てくれそうである。それぞれに関心の向き先や強さが異なると思う。その中から具体的な行動が生まれるようにしたい。それは複数であっても良い。研究会を開いたが何も生まれずに1回こっきりで終わってしまうという事態だけは避けたい。まず、どんな人が来る可能性があるか整理しておく必要がある。来る可能性が低い人も含めて下記に列挙してみる。

●日本語教育関係者
 専任教員(大学、日本語学校、その他の日本語教育機関)、非常勤講師、大学院生、ボランティア日本語教師、日本語学校経営者、国際交流支援団体職員、留学生・外国人
(これらの人々の関心)
 新しい日本語教育の実践、研究、視覚障害者支援、音声ガイド作成団体関係者との交流、デジタル技術応用

●音声ガイド作成団体関係者
 音声ガイド作成担当者、バリアフリー映画鑑賞会支援者、その他の活動に携わっている人、視覚障害者
(これらの人々の関心)
 音声ガイド普及、日本語教師の音声ガイド作成支援、日本語教育関係者との交流、留学生・外国人との交流

●ボランティア希望者
 これから日本語教師や視覚障害者支援等してみたい人
(これらの人々の関心)
 自分にも何かできることがありそうか、とりあえず参加して見てみよう

 うまくいけば何か新しいものが生まれるし、うまくいかなければ色々な人が色々ななことを言うだけで終わってしまう。もうあまり時間がないが、準備をちゃんとして必ず何かが生まれるようにしたい。自分の仕事や研究の一環として関わろうと思っている人より、何か人の役に立ちたいというボランティアの人々の関心の方が高いように思うので、それらの人々のパワーをうまく受けとめられるようにしたい。

"I did it"2007年03月26日 20時55分

 土曜日に新宿で映画『世界最速のインディアン』を見た。公開前に映画館で予告編を何度も見て面白そうだと思っていたし、知人のブログでも評価が高かったので行こう行こうとは思っていたのだが、ついつい日本映画を優先させて後回しにしてしまったり、そのうち忙しくなって映画館にもあまり行けなくなり、でも今見逃すといよいよ後はDVD、という時期になってしまったので、とにかく行ってきた。
 皆さんの高い評価通りの良い映画だった。ところどころで歯切れ良く発する主人公の含蓄のある言葉も良かった。しかし私の心に一番響いたのは走り終えた後、塩原の上に仰向けになり、"I did it ..., I did it"と小さくつぶやいたこの言葉だった。
 "I did it." 無論、彼一人の力で成し遂げることができた訳ではないことは、彼自身、百も承知だ。しかし彼の、どうしてもボンヌヴィルで走りたいという熱い思いが周囲の者を動かし、不可能を可能にすることができたのだ。それらを全て含んだ上での "I did it"の小さなつぶやきには彼の人生の全てが凝縮されているようで感動的であった。喜びを爆発させるのではなく、小さなつぶやきであったところに重みが感じられ、また非常に単純な言葉であるがゆえに、この映画での私の一番のお気に入りの言葉となった。