礼拝・祈祷会メモ2011年07月11日 08時18分

 7月10日の礼拝と7月7日の祈祷会の要約文を掲載します。

 礼拝の説教は5月と6月は月に1回でしたが、7月からは月に2回ずつ行うことになりました。次は24日に行います。祈祷会はこれまで通り、毎週です。

<7月10日礼拝メモ>

『神は我らの嘆きを聞かれた』
【出エジプト2:23~25/ヨハネ1:38,39】

はじめに
◎聖霊の働きの個人的な証し:律法は恵みであるとの確信を得た。
◎ヨセフの時代にエジプトに移住したイスラエル人はおびただしく増えた。
 勢力が増すことを恐れたパロは、彼らを労役で苦しめた。
◎イスラエル人は労役にうめき、わめいた。

Ⅰ 神は契約を忘れていた?
A.神は彼らの嘆きを聞かれ、ヤコブらとの契約を思い起こされた。
B.思い起こしたとは、神が契約を忘れていたということだろうか?
C.神が契約を忘れるはずがない。もっと深い何かがあるはずである。

Ⅱ 時が満ち、機が熟すのを待っていた神
A.人は現状に満足している間は、神の存在になかなか気付かない。
B.エジプトを出るのに必要な莫大なエネルギーが溜まるのを待った。
C.10の災いのしるしはパロにもイスラエル人にも必要になっていた。

Ⅲ 神は心の奥底の嘆きを聞いてくださる
A.人はイエスに出会うまでは自分が何を求めているのか分からない。
B.最初の一歩は自分の無力さを自覚し、誰かに助けを求めること。
C.人の心を見る主は、嘆き・助けの声を上げる者に近づいて下さる。
D.イエスは「あなたがたは、何を求めているのですか。来なさい、
  そうすればわかります」と言い、従う者を救ってくださる。

おわりに
 神はエジプトにいたイスラエルの民を、エジプト人に10の災いを下すことで救い出して下さった。そして、イエス・キリストは、ご自身が十字架という災いを背負い込むことで私たちを救い出してくださった。これに勝る愛があるだろうか。このイエス・キリストの大きな愛を覚え、感謝し、従っていこう。

<7月7日祈祷会メモ>

『善を求めよ。悪を求めるな。』
【アモス5:8-15】

 何が善で何が悪だろうか。神の存在そのものが善である。創造主に造られた我々は、善である神を善悪の絶対基準にして生きている。C.S.ルイスは『キリスト教の精髄』の第一章で、人間には「利己的であってはならない」という人類共通の「自然法則」が生まれながらに備わっていることを説明している。そしてこのルールは誰でも知っているが、これを守っている者は一人もいないと指摘する。
 ルールが守れないのは生まれながらに持つ罪の性質のためであると我々クリスチャンは知っている。我々はイエスに似た者へと変えられていく必要がある。オズワルド・チェンバーズは『「祈りの時」を変える黙想』の中で、「神は私たちの祈りに答えるのではなくイエスの祈りに答える。神にはイエスによらなくては到達できない」と説く。イエスと一体となる祈りを通じてイエスに似た者とされたい。