『八重子のハミング』と『雅歌』2009年08月10日 17時47分

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私は、夜、床についても、
私の愛している人を捜していました。
私が捜しても、あの方は見あたりませんでした。
「さあ、起きて町を行き巡り、通りや広場で、
私の愛している人を捜して来よう。」
私が捜しても、
あの方は見あたりませんでした。
町を行き巡る夜回りたちが私を見つけました。
「私の愛している人を、
あなたがたはお見かけになりませんでしたか。」
彼らのところを通り過ぎると間もなく、
私の愛している人を私は見つけました。
この方をしっかりつかまえて、放さず、
とうとう、私の母の家に、
私をみごもった人の奥の間に、お連れしました。
(旧約聖書・雅歌3章1~4節)

 この雅歌3章は、まるで夜の街を徘徊している八重子さんの心の中を歌っているようです。

 自らも4度もガンの手術を受けながら、若年性アルツハイマー症の妻を11年間介護した夫が、妻との日々を短歌と共に綴った『八重子のハミング』(小学館文庫)を読み、今までどう理解したら良いか分からなかった旧約聖書の『雅歌』への糸口がつかめたように思いました。

 『八重子のハミング』では、著者から妻に注がれる愛情の豊かさに圧倒されました。人は、ここまで献身的になれるのか、ここまで相手の立場になって思いやることができるものなのかと、心打たれました。

 今まで私が『雅歌』を理解できなかったのは、夫婦間の愛情をもっと小さなものに思っていたからなのだと気付かされました。

 昨年、奥様をガンで亡くされた深川教会の兄弟が『雅歌』を愛しておられる理由が、今ようやく分かりました。

 こんなことでは、キリストの愛の広さ、長さ、高さ深さがどれほどであるか(エペソ3:18)、とうてい分かるはずもありません。

 『八重子のハミング』を読むことができて、感謝です。

 佐々部監督の映画化の企画が前進するよう、お祈りしています。

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