広島へ2008年06月05日 05時43分

 先週の木曜日、相棒の電子顕微鏡を見送った後は、職場の私の居室の最後の片付けをし、金曜の午前は引き続き居室の掃除、雑きん掛け、ゴミ出しをして昼までに何とか清掃を終えることができました。
 昼に退職の辞令を上司からもらい、午後は挨拶回り、そしてメールでの退職の挨拶も書いて出したら、もう夕方でした。
 重たい荷物を持って帰宅し、リュックに荷物を詰めてシャワーを浴びて東京駅の八重洲口の高速バスターミナルに向かうために、あわただしく自宅を出ました。
 バスに乗る前に食事をしておきたく思ったので、1時間ぐらいは余裕を持って自宅を出ました。駅に向かって歩きながら、どこで食事を取ろうか考えました。地元の高津にするか東京駅にするか、或いは途中の新橋か有楽町にするか。結局、品川駅の駅中の洋風バーのカウンターで食事することにしました。
 カウンターに座って私が食事を始めた時、まだカウンター席はあまり埋まっていませんでしたが、しばらくしたら満席になりました。両側に人が座ると狭く、窮屈なので普段の私だったら居心地が悪くなるのですが、この晩はそうではありませんでした。カウンターに座っている人たちは皆、企業戦士風の人たちで、ここで息抜きをしているはずなのに、皆さん、ここのカウンターにまで忙しさを引きずって来ている感じで、全然休めていない感じです。一方、私はと言えば、つい先ほどまではこの人たちと同類だったのが、今や退職して忙しさから完全に解放されたのです。
 そんなことを思いながら品川の駅中の窮屈なカウンターでした食事は思いがけなく感慨深いものとなりました。(続く)

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
(マタイの福音書11章28節)

高津教会60周年記念伝道集会2008年06月07日 08時14分

(クリックすると拡大表示されます)

 広島行きの話の続きはまたするとして、今日は明日8日に高津教会である特別伝道集会のご案内です。
 日本基督教団・広島教会より植竹利侑先生をお迎えして下記時間に高津教会で特別集会を行います。
 礼拝    10:30~12:00
 伝道集会 13:30~15:00

 植竹先生の著書『劣等生大歓迎』と『現代つじ説法』(いずれも新生宣教団発行)の2冊を今週読みましたが、抜群に面白く且つ考えさせられることが多く詰まった本でした。
 植竹先生のメッセージを聞くのは私も初めてですが、知る人ぞ知る名説教者とのことで、私も大変に楽しみにしています。
 お近くの方は明日高津教会にお越しください。田園都市線・高津駅下車・徒歩1分の所にあります。

頼りになるヤツ2008年06月10日 06時46分

 ボケボケの写真で申し訳ありませんが、ノートPCに差し込んである、手前の無線LANカードを写したつもりです。
 いま静岡の実家に来ています。この夏は実家で過ごす予定なので、その準備のために来ています。実家での問題の一つはインターネットをするのに電話回線でのダイヤルアップしか、これまで手段がなかったことで、いちいち電話回線のソケットのある所にパソコンを運んで行ってダイヤルアップしていたのでは面倒だし、携帯電話を利用するとパケット代が高くつきそうなので、この無線LANカードを買いました。ちゃんと実家に電波が届いているか、確かめてみるまで少し不安でしたが、大丈夫でしたので安心しました。
秋から入る予定の横浜の寮でも使えるか、明日試してみることにしています。
(追記)
 写真の画質がヒドイですね。通信速度の問題で勝手に画像サイズが落とされているのかな??
(追々記)
 川崎の自宅に戻って、いつものケーブル接続のLANで見たら、画質は悪くない…、ということは、この無線LANカードは送信はそのままの画質で、受信する時にサイズを落として受信するようになってるみたいです。

ここに通ってます2008年06月20日 09時34分


 今月から水曜日と木曜日の週2回、午前と午後の授業をここで受けさせてもらっています。久々に学生に戻れて本当に楽しいです。
 青空が背景の写真を載せたかったので、そのチャンスを待っていたのですが、梅雨時では難しいですね。小雨模様の日の写真ですが、もう10日も更新していないので、載せておきます。
 10月からは本格的にここで学ぶことになります。授業は第2週からです。10月4日の映画『三本木農業高校馬術部』(佐々部清監督作品)の初日と翌5日の舞台『黒部の太陽』(佐々部清監督演出)の初日に行けるかは、微妙です ^^

「主を恐れることは知識の初めである。」
(箴言1章7節)

2006年8月14日・15日2008年06月22日 17時56分



 この写真は3週間前の6月1日の朝に相生橋の上から撮った原爆ドームの写真です。前の晩はここから600メートルぐらい上流の河川敷で『夕凪の街 桜の国』の野外上映会がありました。好天の下で上空の星空と対岸の夜景を同時に楽しみながらの素晴らしい上映会でした。
その時の模様が広島フィルムコミッションのHPで見られます。(pokoさん情報)。
http://www.fc.hcvb.city.hiroshima.jp/infonews/infopic77.html

 2年前の8月14日、私はこの映画の出演者と共に相生橋の上から原爆ドームを眺めました。撮影の待機中の数分間の出来事ですが、このことが私の人生を大きく変えるきっかけとなりました。上の写真にあるように眼前には原爆の悲惨を伝えるドーム、眼下は死体で埋め尽くされていたという元安川、しかし、すぐ右隣には美しい女優さんがいて、共に原爆ドームを眺めているのです。この状況に私は混乱しました。すぐ近くに美しい女優さんがいて大喜びしたいのに、原爆ドームの前で喜べるはずがありません。いったい、なぜこのような状況に私が置かれているのか、目をつむって考えました(下に友人が撮ってくれた、この時の写真を載せます)。でも、もちろんわかりませんでした。
 このこともあって私は翌日の終戦の日は一日中平和公園の中で過ごし、答え探しの続きをしました。原爆ドームの対岸のベンチに座り、ドームを眺めながら長い時間、昨日のことを思い起こしながら、考えていました。このベンチの後ろには平和の鐘があり、時折、ここを訪れた人が突く鐘の音が響きました。鐘の音を聞きながら、いつしか私は神様に「私を平和のために用いてください」と祈り始めていました。この祈りは長く続きました。
 いま私は神学校に通い始めています。こうなったのは、この2年前の8月15日の祈りが聞かれたからだと思っています。つまり、これこそが、何故あのような状況に私が置かれたのか、の答えだったのです。8月14日の出来事は、今日の日を迎えるためのきっかけだったのです。この先、私が平和のためにどのように用いられようとしているのかは神のみぞ知るですが、新たな出発の節目の時に再び相生橋を訪れることができて幸せでした。

 良い知らせを伝える者の足は
 山々の上にあって、なんと美しいことよ。
 平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、
 救いを告げ知らせ、
 「あなたの神が王となる。」とシオンに言う者の足は。
 (イザヤ書52章7節)

家電搬出2008年06月27日 17時35分


 きょうはテレビ・洗濯機・冷蔵庫・ファックス付き電話・ラジカセ・電子レンジ・炊飯器・オーブントースター・ジューサーミキサー・ホットプレート・生ゴミ処理機・VHSのビデオデッキ・古いノートPCなどを処分しました。
 写真の冷蔵庫は19年前に名古屋で買ったものです。以後、札幌、静岡、川崎と引っ越す度に一緒に運んでいましたが、ついに処分となりました。名古屋にいた時、野鳥の会の活動に熱心に参加していたので、鳥のシールが貼ってあります。
 りっぱに働いてくれました。ありがとう。

「テモテのりっぱな働きぶりは、あなたがたの知っているところです。」
(ピリピ人への手紙 2章22節)

「完了した」2008年06月30日 17時03分


 きょうマンションの買い主さんと最終的な売買契約を交わし、鍵を渡しました。ヤ~、掃除がメチャクチャ大変でした。昨日から今日にかけては、一部屋掃除が終わるたびにイエス様の御言葉の「完了した」を独り言で言ってました ^^ 独り言と言えば、物を捨てるか捨てないか判断する時、一つ一つに対していちいち「コレステロール、これ捨てないロール」と馬鹿なことをブツブツ言いながら掃除してました ^^;
 きょうは朝3時半に起きて午前9時過ぎまで、最後の掃除をしました。上の写真はマンションを出る時に携帯で撮りました。
 午前10時からの売買契約では、買い主さんから私の口座にン千万円が振り込まれた直後に住宅金融支援機構が私のローン残高を引き去っていきました。これは一体どういう仕組みになっているんでしょうね?我々が一生掛かって返す金額の金がわずかな時間の間にスイスイ動いていくのを目の当たりにしてちょっと複雑な気分になりました。
 何はともあれ、これから神様に近いところで生活できることを、とても楽しみにしています。

「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、『完了した』と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。」
(ヨハネの福音書19章30節)