「時間とは何か」のツイート2013年06月28日 16時21分

 「時間とは何か」について最近モヤモヤと考えていることを整理するために、ツイッターを利用してみました。ツイッターは、このような考察のツールとしても使えるかもしれないという感触を得ました。①~⑰のそれぞれが1回1回のツイートです。

①「時間とは何か」について、いろいろなことから、私には何となく分かってきた気がします。しかし、それらの「いろいろなこと」を一つに組み上げて、しっかりとした文章にするには至っていません。多分まだ何か考え方に抜けている点があるのでしょう。

②ツイッターは、それらの、まだ一つに組み上げることができない段階の「いろいろなこと」を細切れに提示して行くには、非常に優れた媒体かもしれません。
 ブログに書くには至っていない思い巡らしの断片の一つ一つを、今日の午前は放出してみようと思います。

③木村敏『時間と自己』(中公新書)の離人症患者の証言。「時間の流れもひどくおかしい。時間がばらばらになってしまって、ちっとも先へ進んで行かない。てんでばらばらでつながりのない無数のいまが、いま、いま、いま、と無茶苦茶に出てくるだけで、なんの規則もまとまりもない。」(p.27)

④下條信輔『〈意識〉とは何だろうか』には「ミクロの世界は常に『正しい』」とあります。
 「結局、脳内の神経過程に分け入っていくと『錯誤』はその定義ごと蒸発して、『正常』な神経過程だけが残ります。神経過程が仮に何らかの意味で異常だとしても、もう一段ミクロなレベルに下がってみると(続く)

⑤(続き)その作用は正常なはずです。たとえば、分裂病者の脳ではドーパミンという神経伝達物質が過剰であったり、また別の神経伝達物質が欠如していたりする。これは健常者と比べれば明らかに異常です。しかし(中略)、健常者と同じ神経薬理学的な法則に従っているという点で『正常』なのです。」

⑥ブライアン・グリーン『宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体』(草思社)
「アインシュタインが述べたように、『合理的な判断をする私たち物理学者にとって、過去、現在、未来の区別は、それがいかに執拗なものであれ、幻影にすぎない』のである。実在しているのは、全体としての時空だけなのだ。」

⑦真木悠介『時間の比較社会学』
「ムビティは(中略)、時間の観念こそが、アフリカの宗教と哲学を理解する鍵であることを述べている。それは時間の観念のうちに、伝統的なアフリカ諸部族と近代人との、発想の異質性が集約されているからである。…時間の観念が…近代文明の本質を理解する鍵でもある」

⑧以下は私の時間についての思い巡らし。
 素粒子・原子・分子の目に見えない世界には過去・現在・未来は存在せず、時間の概念は人間の脳内で形成されるものであることが、以上の本を読むとわかる。脳は五感で知覚したことを脳内に記憶として蓄積して、そこから時間の概念が形成される。

⑨では、目に見える世界では、なぜ過去・現在・未来が存在するのだろうか。こんな考察をしてみた。
 空の雲は時々刻々と形を変える。雲の形に特に意味付けをしないのであれば、そこには時間がほとんど存在しないだろう。意味の無い図形がたくさんあるだけなら、それらを時系列で並べる意味はない。
 
⑩しかし、雲の形から動物や乗り物を連想するなら、さっきは馬の形をしていたのに今は自動車のようになった、などと過去から現在への時間の流れが発生する。脳によって意味付けが為されることで時間が発生するのだ。

⑪地層の積み重ねも同様であろう。地層を観察するなら、そこにはいかにも歴史の積み重ねがあるように見えるが、それは、一つ一つの層に時代を当てはめるという意味付けをするからであろう。一つ一つの層に時代を当てはめなければ、地層はただの模様であり、地殻変動により、いずれは違う模様になる。

⑫時間は人間の脳内で形成されるものであるから、民族によって違う時間意識が形成される。グローバル化は均質な時間観をもたらしつつあるが、以前は多様な時間観が存在したのだ。
 このように時間は人間の意識の中で作り出されるので、神は人間の時間の中にはいないということは、正しいことなのだ。

⑬神は過去・現在・未来が一体の永遠の中にいる。もともと人間も神と同じ時間の中にいて平安に暮らしていた。しかし、知恵と知識を持つようになり、時間の概念を持つようになったために、心の平安を失ってしまった。そのことを聖書は、創世記のアダムとエバが善悪の知識の木の実を食べたことで表した。

⑭過去→現在→未来という時間観に縛られるなら、やがて死に至るという恐怖が顕在化しないまでも、潜在的には常につきまとって心の平安が得られない。また、過去に他者から受けた被害への恨みが消えずに報復して、それがまた未来の報復を招く。この報復の連鎖により人類には平和が訪れない。

⑮人類は知恵と知識を自分たちの欲望を満たすために使っている。この自分中心の意識が過去→現在→未来という時間観を生み出し、それゆえ人類は苦しんでいるのではないか。
 自分中心ではなく、神中心の信仰を持つなら、神の時間の中に入れられて心の平安を得ることができる。

⑯ヨハネの福音書には過去・現在・未来が一体の時間観が提示されている。しかし人類は、これまでヨハネの福音書の時間構造に気付かないでいた。これは、いかに人類が過去→現在→未来の時間観に強く支配されているかということを如実に示している。人類はこの時間観の奴隷状態にあると言えるであろう。

⑰私たちは過去→現在→未来の時間観から解放された状態で、もう一度ヨハネの福音書を学び直す必要があると思う。そのことによって私たちは互いに愛し合うことができるようになり、心の平安が得られ、そして世界の平和の実現に向かって歩んで行くことができるようになるであろう。