おそいぞ永観2012年05月14日 20時35分


 劇団巌流の友達が京都に集合するというので、私も行って来ました。集合前に永観堂に行って来ました。みかえり阿弥陀を見てみたかったからです。実物の写真は撮れないので、これは近くに貼られていたポスターの写真です。
 後ろにいる永観のほうを振り向いた阿弥陀さんは、「おそいぞ永観」と言ったとか。下関のお菓子の名前みたいですね(笑)


 京都では、劇団の人たちと東映映画村の見学もしました。村内を坂本龍馬に扮した宮崎さんという俳優さんが案内してくれました。


 宮崎さんは、御用ちょうちんを持って「御用だ、御用だ」と言いながらダッシュする様子を再現してくれました。撮影では、リハーサルで何度もダッシュを繰り返すので、ヘトヘトに疲れるのだそうです(笑)

振り向いたイエス2012年05月15日 09時12分

 京都の永観堂で「みかえり阿弥陀」を観てから、新約聖書の「長血の女」の箇所(マタイ9:20-22、マルコ5:25-34、ルカ8:43-48)のことが、ずっと心に通っています。イエスは、自分の着物をさわった女の方を振り向き、優しく声を掛けたのでした。

 マタイとマルコを引用します。マタイは概略を記し、マルコは詳細を記しています。

「すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。『お着物にさわることでもできれば、きっと直る』と心のうちで考えていたからである。イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。『娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。』すると、女はその時から全く直った。」(マタイ9:20-22)

「ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。『お着物にさわることでもできれば、きっと直る』と考えていたからである。すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、『だれがわたしの着物にさわったのですか』と言われた。そこで弟子たちはイエスに言った。『群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。』イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。そこで、イエスは彼女にこう言われた。『娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。』」(マルコ5:25-34)

 みかえり阿弥陀が造られたのは今から約千年前、新約聖書が書かれたのはさらにその千年前の約2千年前です。神は永遠の中を生きておられること、朽ちるものと朽ちないものとがあることなど、いろいろなことを考えさせられます。

チルソクと黒部の太陽、バッティング2012年05月16日 08時34分

 今朝、NHKのニュースで映画『黒部の太陽』の全国縦断チャリティーツアーが始まったことを報じていたので、関西の上映日程はどうなっているか調べてみました。

 ありがたいことに姫路でも上映してくれるのですが、ナ、ナント、7月7日でした ^^;

 今年の7月7日は5年ぶりで下関に行きたいと思っているのです。もっとも、今年のチルソクの日は土曜日なので、その日のうちに姫路に戻らなければなりませんが。しかし、今年は是非とも下関に行きたいので、『黒部の太陽』は東大阪での上映のチケットを何とかゲットして、そちらで観ることにしたく思います ^^

剣道を再開しました2012年05月23日 10時41分


 これが4月27日の「壁の傷」の答です ^^

 剣道再開に備えて、部屋の中で竹刀を振り回していたら、竹刀の先が壁に当たって傷を付けてしまいました ^^;

 「正解は、後日発表」としたのは、やる気が萎えて、やっぱり再開しなかったということも十分にあり得ることなので、再開したら報告しようと思っていたのでした。神学校に入る1年ぐらい前から剣道をしていなかったので、約5年ぶりの剣道でした。体力や怪我の心配を考えると、5年ぶりの再開というのは大きなエネルギーの要ることでした。4月27日の段階で再開を公表して後戻りできないようにすることも考えましたが、そこまですると、何か悲愴感が漂うので、事前公表はやめておきました ^^;

 毎週火曜日の晩に稽古することにして、きのうは2回目でした。防具が汗をたっぷり吸ったので、窓際で風に当てています。1回目の稽古の後、メールで一部の知人には報告しましたが、ブログでの報告は躊躇しました。あまりにメロメロで、全然剣道になっていなかったからです。約1時間の稽古時間中、3人と稽古するのが精一杯でした。1人当たり約5分として、稽古時間は15分で、あとの45分は隅っこで休ませてもらっていました。心臓の鼓動があまりに激しかったので、心臓発作で倒れないか心配になりました。そして、終わった後は本当にヘトヘトクタクタになっていました。

 昨晩の2回目の稽古は6人の方と稽古でき、心臓発作の心配もなく、終わった後も1回目よりは体力が残っていました。稽古も少しは剣道らしくなったと思います。でも、まだまだです。回を重ねるに従って剣道らしくなっていくと良いなと思っています。

焼けなかったロゴス2012年05月30日 11時24分

 3月の終わりに牧師に任命されてから始めたfacebook上のノートに、「『ことば』としてのイエス・キリスト」という題名の考察文を不定期で連載してきました。今日でちょうど10回目になり、また予想外の良い思い巡らしの結果も得られたことですので、このシリーズは本日分を最終回にしました。

 Facebookを始めたのは、ヨハネの福音書についての最新の思い巡らしの結果を残しておきたいと思ったからです。昨今のニュースを見ていると、自分もいつ何どき、交通事故や自然災害(地震・津波・台風・竜巻・落雷)で命を落とすか分かりません。これらは神でも完全には防ぎ切れない領域であると私は考えています。それで、いつ死んでも、ヨハネの福音書の最新の思い巡らしの結果だけは残しておけるように、実名登録のfacebookを利用してネット上に残しておこうと思ったのです。ですから、友達でなくても読めるようにしてあります。また、かなり専門的な話になりますので興味がない人にはつまらないと思い、これまでのところ、自分からは友達リクエストはしていません。

 このようにして始めたfacebook上でのヨハネの福音書についての思い巡らしですが、ひとまず連載を終えたこの機会に、得られた結果を、こちらにも書いておくことにしたく思います。

 今回の、この2ヵ月間の思い巡らしで分かったことは、ヨハネの福音書の記者ヨハネは、ロゴス(ことば)は永遠の命を持つので、火の中でも焼けなかったことを、この福音書の背後で描いているということです。その背後のクライマックスはヨハネの福音書10章です。預言者エレミヤの時代にユダのエホヤキム王は、神のことばが書かれた巻き物を、暖炉の火で燃やしてしまいました(エレミヤ36章)。しかし、巻き物は焼失しましたが神のことば(ロゴス)は焼失しませんでした。ダニエル書に次のように書かれているからです。

「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」(ダニエル3:25)

 この「第四の者」がロゴスである神の御子イエス・キリストです。

 形ある物はいつか焼失したり、流失したり、朽ち果てたりします。しかし神のことばは決して滅びず、永遠に存在します。自然災害が多発する昨今、このことをもっともっと多くの方々に知っていただきたいなと思い始めています。