超光速ニュートリノの話はどうなっているかな?2011年11月18日 19時21分

 2ヵ月ほど前に話題になった超光速ニュートリノの話で、他機関による検証の実験はどうなっているかが、少し気になっています。それは、昨晩の教会の祈祷会の説教の中で、こんな話をしたからです。

 いま木曜夜の祈祷会の説教では「パウロの生涯」を学んでいます。昨晩は使徒の働き15章のエルサレム会議の箇所でした。

 当時、クリスチャンの間で激しい論争がありました。ユダヤ人の中に、「ユダヤ人でない異邦人はイエス・キリストを信じても、ユダヤ人と同じ割礼を受けていなければ救われない」と主張する人々がいたのです。これはユダヤ人の常識から考えたら当然の主張とも言えるでしょう。しかし、パウロやペテロは割礼を受けていない異邦人が実際に救われる現場を見ていましたから、異邦人に割礼は必要ないと主張していました。

 この2000年前の記事を、私は現代の理系の実験の研究者の世界とよく似ているなあと思いました。これまでの常識をくつがえす新しい事実が発見された時、だいたい常識派の人々が新しい結果を疑って否定するのです。超光速ニュートリノの話がそうであり、無割礼の異邦人が救われたこともそうでした。

 私は超光速ニュートリノは十分にあり得ると考えています。なぜなら祈りの世界では、祈りが過去に届けられるということが現実にあるからです。過去に届く祈りは言わば超光速通信ですから、光速より速い粒子があったとしても少しもおかしくないのです。

 祈りが過去に届けられる例は多くあり、典型的なのはこんな例です。教会でお金が急に必要になった時に、皆でお祈りしたら、間もなく誰かからお金が届いた。その金の送り主が発送した日付は祈った日より前だったという例です。これは、送り主が未来の必要を予知して送金したというよりは、祈りが過去に届けられたと解釈したほうが良いだろうと私は以前から考えていました。ですから、超光速ニュートリノの話を聞いた時、いよいよ過去に届けられる祈りが荒唐無稽な話ではなく、現実の話となるなと思ったのでした。

 祈りを過去に届ける媒体は超光速であればニュートリノである必要はないので、ニュートリノにはこだわりませんが、超光速の粒子があることが早く実証されると良いなと思っています ^^

って、書いてアップした後、ネットの新聞見てたら、「.『光より速い』ニュートリノ、再実験でも超光速」という記事が出てました。
 なんか、すごいタイミング… ^^;

http://www.asahi.com/science/update/1118/TKY201111180425.html