丸子橋2008年01月06日 10時05分


 私は多摩川の二子橋の近くに住んでいますが、5kmほど下流に丸子橋があり、この近辺もよく歩きます。この丸子橋を渡る時、なぜか広島の原爆ドームの横に架かる相生橋を必ず思い出します。それほど似てはいないのですが、歩道が広いのと、橋の途中に半円状の出っ張りがあって、そこから川沿いの風景を見られるようになっているところが少し似ていて、相生橋を思い出させるのかもしれません。
 この年末年始は研究に没頭していました。こんなに研究のことばかり考えながら年末年始の時期を過ごしたのは、20年前の20代後半の時期以来のことのように思います。
 一昨年の8月14日、映画『夕凪の街 桜の国』でホテルを出た七波と東子が相生橋を二人並んで歩くシーンの通行人役でエキストラとして撮影に参加しました。待機中、すぐ右隣に田中麗奈さんと中越典子さん、左前の眼前には原爆ドームという喜と悲に挟まれた私の頭の中は混乱していました。この現実をどう受け留めたら良いのか、その答えを探すためもあり、翌日の終戦の日の8月15日は朝から晩まで広島平和公園の中とその周辺で過ごしました。この日私は、私を平和のために用いてくださいと神様に祈り続けました。
 今にして思うと私は佐々部監督や田中さん、中越さんたちが一流の仕事を通して平和に貢献しようとしていることを、うらやましく思っていたのかもしれません。この日、原爆ドームの対岸のベンチに座りながら、ほとんど進展していなかった研究に再びしっかりと取り組もうという気持ちが与えられたからです。そうして研究が急速に動き始めました。神様は私に研究を通して平和に貢献するよう、働きかけてくださっているのだと確信しました。
 昨年の11月までにこの研究は一段落し、論文も雑誌に掲載されることになりました。12月からはこの研究成果をさらに発展させるべく、次の段階に進んでいます。これが俄然おもしろくて年末年始は研究にはまってしまいました。しかし、この年末年始に熱中していた攻め方はどうやら間違っていたことに昨日、気付きました。正月返上で取り組んだのにと、かなりショックでしたが、この年末年始の働きを無駄にはしたくなく、転んでもタダでは起きないぞという気持ちも同時に湧き起こりました。それで頭を切り替えるため、職場の研究室から自宅まで歩いて帰ることにしました。洗足池の横を通り、中原街道を多摩川方面に向かい、丸子橋を渡って多摩川沿いに二子橋のほうまで歩くコースです。
 夕方の4時半ごろ、丸子橋の向こう側に夕陽が沈んでいくのが見えました。見事な美しさでしたので、携帯電話のカメラで写真を撮りました。そして夕陽に赤く染まる空を左手側に見ながら多摩川沿いを上流に向かって歩いていた時、行き詰った研究の別の攻め口を天から与えられました。今日、これから教会の礼拝が終わったら、この攻め口で再び研究開始です。

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