『七十年目の試練』(1)2015年06月25日 11時04分

 戦後70年が経って戦争を直接経験した証人が減っており、それに反比例するかのように日本では戦争の危険性が増しています。平和を守るために私たちは証人による目撃証言をしっかりと継承して行かなければなりません。
 イエス・キリストの地上における宣教から70年近くが経った1世紀末のキリスト教会においても、イエスの証人がいなくなることは大きな問題であったことでしょう。教会がイエスに関する証言をどのように継承したのか、現代の私たちが学ぶべき点があるのではないでしょうか。
 1世紀の末頃に書かれたと考えられるヨハネの手紙第一とヨハネの福音書からは、記者がイエスの目撃証言の継承を強く意識していた様子が沸々と湧き立って来ています。ここでは、それらの箇所を引用しながら、私たちが戦争体験の証言を継承して行く上で学ぶべき点について考えてみたいと思います。
 まずヨハネの手紙第一の冒頭から引用します。

「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、」(Ⅰヨハネ1:1)

 ここで記者のヨハネは、自分たちがイエスに直接会った証人であることを証ししています。
 そしてヨハネは手紙の読者を、自分たちの「交わり」に招いています。

「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(Ⅰヨハネ1:3)

 ヨハネの手紙第一が書かれたのが1世紀の末頃だとすれば、イエスが天に昇ってから70年近くが経っています。ヨハネが読者を地上での宣教を終えたイエスと天の御父との「交わり」に招いているということは、これは「霊的な交わり」、つまり「霊の領域での交流」であるということです。
 21世紀の今日、イエスの地上での宣教から二千年が経ちました。その遥か昔のイエスの教えが今日でも生き生きと伝えられているのは、霊の領域のことだからです。霊の領域のことは時間を超越します。ですから戦争体験を継承する私たちも、証言を霊の領域に落とし込んで感じ取ることが大切だと思います。
 これから、何回かにわたってヨハネの手紙第一とヨハネの福音書の霊の領域の事柄について書いて行きたいと思います。そしてできれば、その都度、戦争体験の継承の問題についても考えることができたらと思います。