いのちのパン (連載12)2012年06月26日 09時22分

 ヨハネ6章でイエスは「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」(6章27節)と言いました。そして、「わたしはいのちのパンです」(6章48節)と言いました。この「いのちのパン」も「ことば(ロゴス)」で解釈すると、わかりやすくなります。

 イエスは「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます」(ヨハネ6章51節)と言いました。パンであるイエスは「ことば」ですから、「パンを食べる」とは、聖書の「ことば」を体の内に取り込むということです。このことにより、私たちは永遠のいのちを得ることができます。

 さて、ここで興味深いのは、この「いのちのパン」の一連の話を聞いた多くの弟子たちが、イエスのもとを去ったこと(6章66節)です。イエスが「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています」(6章54節)と言うので、十二弟子以外の多くの弟子たちは、「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか」(6章60節)と言ってイエスから離れ去って行きました。ここでヨハネは、人々がイエスを信じないで離れて行ったことと、旧約時代に北王国のサマリヤが滅亡したこととを重ねています。

 「わたしの肉を食べ…」とは、確かにひどい言葉ですが、少し深く考えるなら、それがカニバリズム(人肉食)のことを言っているのではないことは、すぐに分かるはずです。ヨハネは6章で、イエスのことばを信じない人々の皮相性を描き、そのような人々はどの時代の人であっても、北王国のサマリヤのように滅びに至るのだと、暗に警告しているように思います。(続く)

(「焼けなかったロゴス ~舞台裏から観たヨハネの福音書」12)

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