5.神に背き続けて来た人間2012年06月14日 08時47分

「焼けなかったロゴス ~舞台裏から観たヨハネの福音書」5

 前回まで、聖書の神が万物の創造主であることを、ややしつこく書いてきました。日本では生命の起源を神に求めることは非科学的と考える人が多いと思いますが、生命の起源は未だに科学的に解明されていません。それでも神が創造主でないことだけは確かだと決め付けるとしたら、それもまた信仰の一種だと言えます。

 さて、もし人間が偶然に生まれた存在であるなら、人は神を信じなくても構いません。しかし、もし人間が創造主によって造られた存在であるなら、創造主である神を信じないことは、神に背くことになります。そして聖書に書いてあることの大半は、人間がいかに神に背き続けて来たかということです。立派な信仰を持っていたモーセやダビデも失敗して神から心が離れた瞬間があったことが旧約聖書には記されています。モーセやダビデでさえそうなのですから、一般の民衆はいとも簡単に神から心が離れました。

 聖書というと聖人君子のことが書かれているというイメージがあるかもしれませんが、聖書、特に旧約聖書には神に背き続けて泥沼にはまっている人間のことが繰り返し描かれています。そして神はこの人間を不信仰の泥沼から救い出すために、御子イエス・キリストを、この世に遣わしました。

 ヨハネの福音書の抜群に面白いところは、この旧約聖書の時代から新約聖書の時代への流れが本文の背後に隠されており、舞台裏から観るとそれが分かるようになっていることです。次回からは、いよいよ、このヨハネの福音書の舞台裏に迫って行くことにします。
(続く)