特大の大風呂敷2012年03月28日 23時45分


 ブログ更新を1ヵ月も休んでしまいました。

 この間、神学校を卒業して牧師の任命を受け、姫路にまた戻って来ました。学生からまた社会人に戻ったわけです。神学生は責任ある立場ではないので気楽な面もありましたが、自由がなく忍耐の時でした。社会人に戻れたことをうれしく思います。この移行期間中は、なかなかブログ更新まで気が回らず、いつの間にか1ヵ月が経ってしまいました。

 いい機会なので、ここで特大の大風呂敷を広げようと思います。1ヵ月振りの更新なので小さなことを書くより、思い切り大きなことを書きます。大風呂敷を広げるのが好きな私でも、これほどのジャンボサイズは初めてです。

 3月11日に高津教会で礼拝説教をした後、牧師の藤本先生と近くの蕎麦屋で昼御飯を食べました。この時、私は卒論で行なったヨハネの福音書の研究を、今後はどのように進めたらよいかアドバイスを求めました。すると先生曰く、私の卒論なり説教なりは、西方教会より東方教会の考え方に近いので、東方教会のことをもっと勉強するとヨハネの福音書の研究ももっと深まるであろうとのことでした。そして、読むべき何冊かの本を教えてもらいました。

 日本で良く知られているカトリックやプロテスタントは西方教会です。一方、ギリシャ正教やロシア正教などの東方教会のことは日本ではほとんど知られていません。私も知りませんでした。しかし、今回、東方教会の勉強を少し始めてみて、確かに私が聖書を読んで感じているキリスト教観は東方寄りだと思いました。そして、日本人には東方教会の方が親しみやすいのではないかという気がしています。

 さて、ここで大風呂敷を広げます。キリスト教の教会が東方と西方とに分かれてしまった大きな要因は父・御子・御霊の三位一体論の解釈の違いにあるようです。この三位一体論にとってヨハネの福音書は極めて重要な書です。しかし、これまでのヨハネの福音書の解釈では気付かれていなかったことがあります。それは、ヨハネの福音書1~11章の背後には旧約聖書の時代が時代順に隠されており、旧約の預言者とイエスとが重ねられているということです(このことを明らかにした卒論を左欄の「リンク」から見られるようにしましたので、関心のある方はダウンロードして読んでみてください)。ということは、ヨハネの福音書の解釈が深まれば、西方と東方との溝を埋められる可能性があるということです。その東西の融和に私のヨハネの福音書の研究が役に立つかもしれません(何という大風呂敷^^; )。

 上に掲げた絵は平山郁夫氏の「平和のキャラバン・西(月)」と「平和のキャラバン・東(太陽)」です。この2つの絵はまだ米ソの冷戦の時代に東西の融和を願って氏が描いたもので、このタイル画が広島の原爆資料館に展示されています。この「平和のキャラバン・東(太陽)」の左右の中心に私の名を刻んだ一粒のタイルがあることは、このブログで何度か書いています。東西の融和を願って描かれた絵の中心に私の名があるということを、私は、聖書の神観の東西融和の役割が私に与えられていると解釈したく思っています。とんでもない超特大の大風呂敷ですね。でも、大役を担うのにふさわしくない人物が、その役割を与えられるという点では、聖書的であるとも言えます。

 その気になって学びを進めるため、読書量を大幅に増やして行きたく思っています。

『カーネーション』、良かったです2012年03月31日 20時32分

 毎日楽しみに観ていた『カーネーション』が終わってしまいました。テレビが無い横浜の寮にいる間も、ワンセグに録画して観ていました。3月以降も夏木マリさんが良い味を出していたと思いますし、音楽も良かったし、それに脚本が抜群に良かったと思いました。

 音楽は、『ALWAYS 三丁目の夕日』と全く同じ曲が使われていた場面もありましたが、私はALWAYSの音楽も好きですから、全く違和感を感じずに楽しめました。

 今日のラストシーンも、味がありました。

 説明抜きで老女が朝ドラを観ているシーンで終わりましたが、幼なじみの奈津と糸子との友情を思わせる良いシーンでした。番組の終盤で聖書の「受けるよりも与えるほうが幸いである」(新約聖書・使徒の働き20章35節)という言葉を糸子が気に入っているシーンがありましたが、まさに糸子は受けるよりも与えた人生を過ごし、そのことで逆に彼女自身も多くのものを受けた生涯であったと思わせるシーンでした。

 連続ドラマの場合、全体的には良くてもラストがイマイチということが、たまにありますが、『カーネーション』の場合は、最後まできっちりと楽しませてくれて、本当に良い作品だと思いました。(拍手)