19.律法主義の追い出し2011年01月22日 08時21分

『世界の中心で、お風呂に入る』(19)

19.律法主義の追い出し(第七の入れ子・その1)
 第七の入れ子は【2:13~22】と【18:1~40】のペアで、それぞれに「イエスによる律法主義の追い出し」と「律法主義者によるイエスの追い出し」が描かれています。この二つの場面はマタイ・マルコ・ルカによる福音書にも描かれており、前者はいわゆる「宮きよめ」、後者は「イエスの逮捕・裁判」です。

 マタイ・マルコ・ルカの福音書では「宮きよめ」は十字架を目前にした最後の方に描かれています。一方、ヨハネの福音書は2章という最初の方に描かれているため、これは大きな謎として議論の的になっています。ヨハネの福音書における最大の謎と言っても良いでしょう。

 この早すぎる「宮きよめ」をどのように解釈したら良いでしょうか?

 注解者によっては、「宮きよめ」は1回ではなく、最初と最後の2回(或いはもっと)行われたと考える人もおり、それなりに支持されています(例えばモリスの注解書を読むと、複数回説がいくつか引用されています)。しかし、カーソンなどは、かなりの紙幅を費やして、この2回説に反論しています。それは、

「(イエスは)宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒して・・・」(2:14,15)

のような激しい行為をイエスが何度も繰り返すことを、律法主義者たちが許すはずがないからです。最初の宮きよめを呆然と眺めた人たちも、2回目以降は阻止することでしょう。

 このヨハネの福音書の早すぎる宮きよめの謎は、入れ子構造により理解することができます。イエスが死ぬ直前の最後の週、エルサレムに入京し、最後の晩餐→逮捕・裁判→十字架の死→復活と辿った順番を逆にすると、イエスを信じた人が救われる順番になるからです。これまで私たちは、1章で弟子たちがイエスと出会い、「来なさい」という招きに応じ、それに対して2章のカナで祝宴が開かれたところまでを見て来ました。

 イエスの招きに応じた者は、イエスの血により心がきよめられます。これを表わしているのが「宮きよめ」です。そしてまたヨハネの「宮きよめ」は、律法主義の追い出し、そしてイエス自身がいけにえの動物に代わって犠牲の小羊になることをも象徴しています。これらについては次回以降で説明します。