『ツレがうつになりまして。』を読んで2011年01月13日 10時16分


 佐々部監督が今月9日から撮影を開始した映画の題名が『ツレがうつになりまして。』だということが発表になりました。宮﨑あおいさんと堺雅人さんが主役で、今年の秋に公開予定だということですから、今からとても楽しみです。うつ病にスポットが当たるということで、私も教会でうつ病の方と話をする機会が多い身ですから、どんな作品なのかとても気になり、原作のマンガ本(細川貂々・作)を早速ネットで注文して読みました。

 『ツレうつ』の原作を読んで、私には1月3日と5日の日記に書いた『最後の忠臣蔵』と『武士道』のことがオーバーラップしました。そして、思いました。

 人には生まれつき、「誰かに仕えたい」、「誰かのために自分の人生を捧げたい」、「誰かのためには命を捨ててでも尽くしたい」という気持ちが本能として備わっているのだ、と。

 ツレさんは会社という「主人」に仕える会社人間でした。奥さんの細川貂々さんにとってもツレさんは「主人」でした。『武士道』の武士も主君という「主人」に忠義を尽くし、『忠臣蔵』の家臣たちも浅野内匠頭または大石内蔵助という「主人」に仕えたのでした。そして私も、イエス・キリストという「主人」に仕える、しもべです。

 ツレさんのような会社人間の何が問題かというと、会社という「組織」は人が本来仕えたいと願っている「主人」ではないのだ、ということだと思います。同じ会社人間でも、本田宗一郎とか松下幸之助のような「主人」に仕えるのでしたら話は随分と違うのだと思いますが、そのような偉大な経営者のいない「組織」に仕えてしまうことは不幸なことであり、それゆえに病気に至ってしまうのであろうと思いました。

 専業主婦でうつ病になる人も同様な場合が多いのではないでしょうか。夫や子どもに仕えても、本田宗一郎や松下幸之助級の夫ならともかく、そうでない夫に自分を捨てて仕えても、それを生きがいにすることはなかなか難しいでしょう。それでも仕えようと頑張ってしまうと、ストレスがどんどん溜まっていってしまいます。

 だから人は、仕事や夫にそれが求められないなら、趣味やボランティア奉仕、宗教などにそれを求めることになります。自分をより多く捧げることができるほど、その対象は好ましいことになります。人には、自分を捧げ、仕える対象がとうしても必要なのだと思います。

 そのような私たち人間が行き着くべきところはどこでしょうか。名誉やお金のために自分を捧げるのでなく、心の底から自分を捧げたいと願っている対象があるはずです。その対象に仕えるように私たちは造られ、生まれつきそうなっているのだと思います。

 それは生命を創造し、私たち人間を創造した神に仕えることではないでしょうか。

 このことを多くの方々にお伝えすることが、私に与えられた使命です。神はその目的のために私を召し出しました。それゆえに私はそれまでの自分を捨てて、主イエス・キリストのために、今こうして仕えています。