15.祝福とのろい2011年01月09日 21時20分

『世界の中心で、お風呂に入る』(15)

15.祝福とのろい(第六の入れ子・その1)
 第六の入れ子は【2:1~12】と【19:1~42】のペアです。私はこの第六の入れ子が、世界の中心の【7:37~39】以外では最も重要であると考えますので、何回かに分けて、じっくり説明したく思います。なぜ重要かと言うと、キリスト教の核心である「十字架」について書かれた19章が含まれるからです。

 このペアは「カナの婚礼」と「十字架」のペアです。婚礼の「祝福」と十字架という死刑の「のろい」のペアです。十字架がのろいであるということについて、パウロは「ガラテヤ人への手紙」の中で旧約聖書の申命記21:23を引用して次のように書いています。

「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである。』と書いてあるからです。」(ガラテヤ3:13)

 キリスト教のシンボルは、ユダヤ人にとってはのろいのシンボルなのです。このように死刑になったのろわれた者を救い主として神と崇めるキリスト者を、人々は愚か者であるとあざけりました。しかし、パウロはコリント人への手紙第一で次のように書きました。

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(第一コリント1:18)

 キリスト教は逆説の宗教です。十字架は究極の逆説です。イエスを信じない人々にとっては愚かに見える十字架が、実は人々を救うのです。イエスの時代に先立つこと約700年前、預言者イザヤは未来を見通して次のように預言しました。

「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:5)

 この逆説を、第六の入れ子は「祝福とのろい」のペアによりワンセットで示しているのです!このようなヨハネの福音書の入れ子構造の仕掛けは、本当に凄いなあと思います。