ど真ん中でした ― 2010年08月12日 14時35分
10日と11日に広島に行って来ました。
まず廿日市でこうの史代さんの原画展を見て、それから原爆ドーム近くの広島市こども文化科学館のプラネタリウムで『夕凪の街 桜の国』の特別編を見ました。夏の星座の解説入りです ^^
それから原爆資料館に行き、私の名を刻んだタイルと2年ぶりで対面して来ました。
今回、新たな「大発見」がありました。
なんで、今まで気付かなかったのかと思いますが、私のタイルはこのタイル画の左右のど真ん中にあるということに、今回初めて気付きました。これまで、横21列あるブロックの真ん中のブロックに私のタイルがあることは分かっていました。しかし、そのブロックの中の、さらに中央に私のタイルがあることは、見落としていました。
中央のブロックのそのまた中央に私のタイルがあるのです!
これを、どう解釈すべきでしょうか?
私は平和のメッセージを中心に語っていかなければならないのだ!と解釈します。
私はキリスト者ですから、イエス・キリストの平和のメッセージを語っていきます。原爆投下は明らかにイエス・キリストの平和の心に反しています。イエス・キリストは「ヨハネの福音書」20章で3回も「平安(平和)があなたがたにあるように。」とおっしゃっています。
このタイル画のブロック数が縦も横も21だというのも、何だかいろいろなことを想像します。
21世紀の今、しっかりと平和のメッセージを語るように、とも取れます。
21は「ヨハネの福音書」の章の数とも同じです。
3と7を掛けると21になりますが、3も7もキリスト教では大切な数です。3は三位一体の神の3ですし、7は1週間の日数です。7日に1回の聖日は神に礼拝を捧げる大切な日です。
ところで、左右の位置が真ん中なのは良いとして、私のタイルが下から5つ目のブロックにあることは、どう解釈したら良いでしょうか。私は、上の写真のように十字架を下に置きたく思います。
イエス・キリストの十字架は私たちをどん底から支えてくださっています。このイエス・キリストを無視したり拒んだりする時、人はどこまでも下に落ちて行きます。広島・長崎以降の戦争での核兵器使用が無いのは、こうして十字架により下から支えられているからだと私は思います。
広島・長崎の地獄の中には十字架のイエスもいて苦しんでいました。このイエスの十字架を無視する時、人はさらに下に落ちて行き、3度目の核兵器使用が起こるのでしょう。
この、3度目の「3」という数字はとても大切な気がします。もしかしたら、その時こそが終末の日なのかもしれません。
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