コロナと神と冥福2009年07月22日 21時59分

【コロナ】
 きょうはテレビでたっぷりと皆既日食を見ることができて感謝だった。神学院の寮にはテレビがないから、10日前だったら、きょうのようには見ることができなかった。
 コロナの温度は100万度だそうだ。太陽の表面が6000度ぐらいなのに、なぜコロナはそんなに高温になるのかは、まだよく分かっていないとのことだった。これには、ちょっと驚いた。新しく発見された事象でなくて、前から観測できているものでも、原理が分かっていないことが、まだまだたくさんあるんですね。研究者は面白くて仕方がないでしょう。

【神】
 神のことも分からないことだらけだ。だから、知れば知るほど楽しくなる。聖書の勉強はとても面白い。しかし、コロナは科学であり、神は科学ではない。なぜか。神は観測できないからだ。観測できないことは科学の対象ではない。それだけのことだ。
 だから、神を信じることが科学的でないのは当たり前のことだ。そもそも科学が対象としていないからだ。科学が取り扱う範囲内の科学的なことしか信じない人は了見が狭すぎると思う。

【冥福】
 最近、「ご冥福をお祈りします」という文言が妙に気になる。この文言の使用の是非についてネットで調べてみたら、案の定、あちこちでカンカンガクガクとやっていた。
 わたしが気になるのは「冥土」がどういう場所かの解釈の問題ではない。
 このブログに既に何度か書いたことだが、外出制限が厳しい寮生活で新年会や花見をする友人をうらやましく思った時、私は自分の信仰が単なる希望を置いているだけに過ぎないのか、或いはまた、はっきりとした確信に基づくものなのかをはっきりさせるため、いろいろな書物を読み、祈り、考え抜いた。そして、新約聖書のパウロの次の言葉は100%信じるに値すると結論した。

「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」
(コリント人への手紙第一・15章19, 20節)

 従って、私は死後の幸福について単なる希望を置いているだけではないが、「ご冥福をお祈りします」と書く人の多くは、死後の幸福について単なる希望を置いているだけではないだろうか、ということが気になるのだ。

コメント

_ たなかやすこ ― 2009年07月25日 12時42分

KOJIMAさん

「ご冥福をお祈りします」について、以前から同じことを考えていました。それで、下関のSさんの奥さんの訃報を、高津教会の掲示板への書き込みで知らされた時、そのことばは一般的なお悔やみの(惜別の?)挨拶で、無意識に使っている決まり文句で、よいことばなのでしょうが、クリスチャンとしては戴けないので避けようと思いました。しかし、相手がキリスト教でない場合、「神さまの(上よりの)慰めと平安があるように祈る」というクリスチャン間の挨拶も不自然のように感じられました。

考えた末、7/8夜に「Sさんの胸中をお察しし、KOJIMAさんとともに高津教会も謹んで哀悼の意を表します。」と言う文章にして書き込んだ後、こちらのブログにまいりましたが、何と全く同じことば「下関の訃報に接し、謹んで哀悼の意を表します。」を、7/8のお昼間にKOJIMA さんが書かれた中に見つけました。私はブログを先に見たわけでもないのに、同じことばを選んでいたことに、とても不思議な気持ちでおりました。これは神さまが取り持ち、それぞれに教えてくださったのに違いないと思ったことでした。

この【冥福】に関する記事を読んでまた思い出して、このことを是非お知らせしたいと思いました。それにしても、最近のKOJIMAさんの記事はとても霊的になっておられ、いつも主とともに、目覚めて祈りつつ歩んでおられる姿が輝いて見えます。

Sさんとは、お電話で一度だけお話したことがあります。親しみのあるお声で、本当にお付き合いを大切にされるお方だと思いました。2-3年前の感謝祭の時だったと思いますが、送られてきた巌流焼き150個を教会で振舞われた事がその始まりです。白あんのドラ焼きがおいしくていつだったか、暮れと新年の挨拶用に注文した時に、高津教会の人間とわかってくださり、特別に配送についての便宜をはかって下さると、ご親切にもお電話を戴いた事がありました。KOJIMAさんのことをKOJIMA先生とおっしゃっているのが、印象的でした。その時、神学校に行っている話もされましたから、たぶんまだ大学の先生というイメージなのだろうと思いました。

もうSさんは日本国内のお客様の一人に過ぎない私を、お忘れになっているかもしれませんが、私の方は、聖書の中に「これらわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」とイエスさまがおっしゃったことを思い出しております。KOJIMAさんというイエスさまの弟子ゆえに、教会の人間にまでよくしてくださったことは、天国にあるいのちの書に書き記されている事ではないかと思えます。Sさんの心にぽっかり開いた穴を埋める、本当の慰めが与えられますように、心からお祈りしています。

_ S.KOJIMA ― 2009年07月25日 15時02分

たなかさん、こんにちは。
 そうですね。冥土であれ、浄土であれ、天国であれ、あの世がどんな所かということに関係なく、この世でもあの世でもいつも神様が共にいてくださることの幸福と、いてくださらないことの不幸をお伝えしていかなければと思います。
 Sさんへのお祈りありがとうございます。私もこれからもお祈りしていきます。

トラックバック