ダビデにならって作戦変更2007年05月20日 07時55分

 いまマスコミでカンヌ映画祭のことが話題になっています。佐々部監督の『夕凪の街 桜の国』もエントリーしましたが出品には至らなかったとのことで関係者はさぞ残念に思っていることと思います。
 残念と言えば私が某誌に投稿していた論文も、昨日の早朝にメールで不採択の通知が届きました。私が書いた内容に誤りはないと100%確信がありますし、某誌クラスの雑誌に載るべき内容だとの自負もあるので、この先どうすれば自分の研究が世に認められるのだろうかということを、日がな一日つらつらと考えていました。そうしたら旧約聖書サムエル記第一・24章に記されている、サウル王とダビデの記事に行き当たりました。どうやら私は私の研究を認めようとしない人たちの鼻を明かしてやろう、某誌に研究論文が掲載されることでこの人たちの面目を丸つぶれにしてやろうという醜い根性で論文を書いていたようだということに気付かされました。きょうのブログはイスラエルの初代王サウルと二代目王のダビデとの関係についてデニス・キンロー著『エマオの道で』の中のサムエル記に関する解説も引用しながら、書かせてもらいます。
 イスラエルの初代王サウルは当初はダビデをたいそう気に入っていましたが、ダビデが巨人ゴリアテを倒して民衆の人気を得るようになると敵とみなすようになり、ついにはダビデを殺すことにして逃げるダビデを追い回すようになります。以下、『エマオの道で』の2月24日の箇所の順番と文を少し変えて引用します。

 ある日、ダビデはサウルから逃れるために洞穴に潜んでいました。まさにその時、サウルが休憩のためにその洞穴に入ってきました。サウルは洞穴の暗闇にダビデとその部下たちが潜伏していることに気づいていません。ダビデの部下の一人が、「主はイスラエルを救われる。サウルは私たちの手の内にある」と言って、サウルを殺すようダビデに進言します。「今こそ神の御心を成就し、イスラエルを救うチャンスが到来しました。」しかしダビデは、「サウルに手を下してはならない」と答えました。ダビデを王位に置くのは神ご自身ですから、力ずくでその王位を奪いとるつもりはダビデにはありませんでした。
 サウルに対するダビデの対応を見ていると、ダビデの人柄がよくわかります。ダビデはサムエルによって油を注がれましたので、やがて自分が王になることはわかっていましたし、自分を王に召されたのが神であることも知っていました。神がダビデをいよいよその王位に着かせたい時に、それが成就するのだと知っていました。
 私たちは神の御心がすぐになるようにと焦ってはいけません。ダビデは神を信頼していたからこそ待つことができました。私たちの努力が何かを生み出すのではなく、だだイエスの霊だけがいのちを与え、導きを与えてくださいます。(引用終わり)

 私の研究を認めようとしない人たちの面目をつぶしてやろうなどという浅ましい考えは取り下げ、もっと穏やかな方法に作戦変更しようと思います。