素晴らしい告別式2006年08月09日 17時16分

 昨晩の記事で恵みにあふれていたkiaraさんの告別式のことをうまく表現できないものかと思い、対照的な人と対比させる形式を試みましたが、どうもあまりうまく書けませんでした。
 でも、きょう「シングルファザー日記」のloveamsさんが、この告別式のことを

「教会全体が愛情で包まれたような素晴らしい告別式。kiaraさんが多くの人々に崇高な愛情を分けてくれていたと同じだけの愛情が、教会全体に満ち溢れていた気がします。」

と表現してくださいました。私の立場からは、ご家族の気持ちを考えると「素晴らしい」という表現は使い難く、kiaraさんのご主人と同じ立場であられるloveamsさんだからこそ使える表現だと思い、勝手ながらここで紹介させていただくことにしました。

 本当に素晴らしい告別式だったと思います。
 loveamsさん、どうもありがとうございました。

シングルファザー日記・初級編 「kiaraさん」
http://loveams.blog46.fc2.com/blog-entry-111.html

コメント

_ 田中保子 ― 2006年08月10日 07時52分

小島さん

大西姉が亡くなられてから、小島さんはじめ彼女を知る皆の心は、今なお彼女から放たれるキリストの霊に満たされ続けているのですね。

ご葬儀には行けませんでしたので、さまざまに思いを巡らして、主に祈っておりました。ですから、毎日のこのブログやご紹介されたブログが大変慰めでした。ほんとによく知らせて下さいましたと、loveamsさんにも感謝いたします。

ガラテヤ書5章22-23節に御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制と、9つの実が教えられておりますが、大西姉は、少なくとも晩年に向かう2-3年は、自らは難病と戦いながらも、これらすべてにおいて、キリストの霊を周囲に証しされたことがよくわかります。

一般的には失礼な表現かもしれませんが、キリスト教的に言うならば、わずか信者になられて数年で、この域まで神さまに高められるのだと、そのキリスト者としての成長の恵みに、驚いたり感心したりしています。やはり、神さまは求める者には、豊かに恵みを注いでくださるのだと主の聖名を崇めます。これは、小島さんにおいても、彼女とは教会のキリスト教講座で同期だと聞いて、同様にアーメンです。

これからも、ずっと、大西姉が格別に主に用いられたことを思い起こし、キュアサルコーマの人々、またそのご家族や関係する方々のために、主の顧みがありますように、主のとりなしを祈り続けたいと思います。

_ S.KOJIMA ― 2006年08月10日 16時55分

田中保子さま
 大西姉の葬儀に私は大いなる恵みを感じたのですが、でも何故そんなふうに感じたのか、実はよくわからないでいました。それで少し思いを巡らせていたのですが、感謝なことにわかった気がします。こういうことなのかな、と思いました。
 
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)

この御言葉を我々は信じているわけですが、一点の曇りもなく信じていますか?と問われたら、今までの私だったら、「はい」と即答できず、ちょっと考えてしまったかもしれません。でも、大西姉は亡くなったけれども間違いなく生きていると私だけでなく多くの人が感じていることと思います。大西姉のような信仰を持てば、死んでも生きるのだという確信のようなものが与えられ、それを励みに感じ、恵みを感じたのではないかな、などと思いました。

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